立石寺について

山寺は、正しくは 
宝珠山 立石寺といいます。

貞観2年(860)、第三世天台座主慈覚大師円仁 が開いた、天台宗の御山で東北を代表する 霊山です。

「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 という松尾芭蕉の句でも知られています。

豊かな自然に恵まれ、春・夏・秋・冬、 四季折々の雰囲気を楽しむことができます。

立石寺の概要・歴史

 当山は宝珠山立石寺といい通称『山寺』と呼ばれています。天台宗に属し、創建は貞観二年(860年)天台座主第3世慈覚大師円仁によって建立されました。

当時、この地を訪れた慈覚大師は土地の主より砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げ寺領とし、堂塔三百余をもってこの地の布教に勤められました。開山の際には本山延暦寺より伝教大師が灯された不滅の法灯を分けられ、また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護る寺院となりました。その後鎌倉期に至り、僧坊大いに栄えましたが、室町期には戦火に巻き込まれ衰えた時期もありましたが、江戸期に千四百二十石の朱印地を賜り、堂塔が再建整備されました。元禄二年(1689)には俳聖松尾芭蕉が奥の細道の紀行の際この地を訪れ、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の名句を残しました。

現在は約百町歩(33万坪)の境内を持ち、その中に大小30余りの堂塔が残され、三つの不滅(法灯・香・写経行)が今尚護られています。

各御堂のご案内

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  根本中堂 不滅の法灯<br>
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  konponchudo
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  根本中堂は立石寺という御山全体の寺院の本堂に当たる御堂です。現在の根本中堂は延文元年(1356年)初代山形城主・斯波兼頼が再建した、入母屋造・五間四面の建物で、ブナ材が全体の6割程用いられブナ材の建築物では日本最古といわれます。<br>
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  堂内では、本尊として慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像をお祀りし、脇侍として日光・月光両菩薩と十二支天、その左右に文殊菩薩と毘沙門天を拝することができます。<br>
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  ※御朱印を頂戴できます。
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根本中堂 不滅の法灯
konponchudo

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  せみ塚<br>
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  semizuka
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  俳聖松尾芭蕉が山寺の地を訪れたのは元禄二年(1689)旧暦で五月二十七日(新暦七月十三日)、紀行文と句を詠んだのは当時麓にあった宿坊といわれています。<br>
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  その後、翁に連なる弟子たちがこの地を訪れ、往時の面影から翁を偲び、この場所が芭蕉翁が句の着想を得た場所ではないかと、翁の遺した短冊を土台石の下に埋め塚を立てたものがせみ塚となります。<br>
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  その後、山寺は斎藤茂吉をはじめ多くの俳人・歌人が訪れ、今尚変わらぬ風景に芭蕉翁を感じた方々が残した詩が参道の至るところに句碑となってご覧になれます。<br>
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せみ塚
semizuka

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  開山堂<br>
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  kaizando
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  百丈岩の上に立つ開山堂は立石寺を開かれた慈覚大師の御堂で、この御堂が建つ崖下にある自然窟に大師の御遺骸が金棺に入れられ埋葬されています。御堂には大師の木造の尊像が安置されており、朝夕、食飯と香が絶やさず供えられ護られています。普段は扉の閉じられた御堂ですが、年に一度、大師のご命日に当たる一月十四日に法要が行われ御開帳されます。<br>
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  向かって左、岩の上の赤い小さな堂は写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物です。ここに奥之院で四年をかけ写経された法華経が納められます。県指定文化財で、昭和六十二年に解体修理が行われました。またここより向かって右上には五大明王を奉る五大堂があります。舞台造りのこの御堂からは山寺を一望でき、絶景を楽しむことができます。<br>
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開山堂
kaizando

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  奥の院<br>
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  oku no in
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  奥之院は通称で、正しくは「如法堂」といいます。<br>
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  慈覚大師が中国で持ち歩いていたとされる釈迦如来と多宝如来の両尊を御本尊とする如法堂は、参道の終点にあるので「奥之院」と呼ばれています。<br>
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  この道場で慈覚大師が初められた石墨草筆・一字三礼の如法写経行が護られています。<br>
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また如法堂左側の大仏殿には、像高5メートルの金色の阿弥陀如来が安置され、宗派を問わず供養に数多くの人が訪れます。

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  ※御朱印を頂戴できます。
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奥の院
oku no in

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  性相院<br>
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  seisouin
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  仁王門からのぼると性相院となります。<br>
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  昔は山上にあった十二支院の一つで慈覚大師作と伝えられる阿弥陀如来を本尊とし運慶作の毘沙門天を安置し、明治元年に山の善行院、極楽院を合併され現在に至ります。<br>
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  ※御朱印を頂戴できます。
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性相院
shouzouin

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  金乗院<br>
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  kinjoin
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  十二支院の一つで、延命地蔵菩薩を本尊とし、ほかに千体・不動明王を安置しており、寺は天保十一年(1840年)三月、澄明旭海によって再建されました。<br>
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  ※御朱印を頂戴できます。
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金乗院
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  中性院<br>
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  chuseiin
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阿弥陀如来を本尊とし、明治元年に不動院と合併されました。<br>
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  背後の岩窟には新庄藩戸沢家歴代の石碑が立ち、また道の向かい側には、山形城主最上義光公霊屋があり、最上一族の霊を本尊となる一寸一社の地蔵尊によって祀っています。<br>
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  ※御朱印を頂戴できます。
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中性院
chuushouin

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  華蔵院<br>
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  kazouin
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ここも十二支院の一つで、慈覚大師が開山のみぎりこの寺にお住まいになったといわれ、本尊は慈覚大師作の観世音菩薩と伝えれれます。向かって右側にある岩屋には、岩屋をお堂に見たてたその中に三重小塔があります。<br>
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永正十六年(1519)に造られたこの塔は柱間一尺五寸ほどの小さなものですが、他の塔と同様の工程で組み上げられ全国で最も小さい三重塔ということもあり、国の重要文化財に指定されています。<br>
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  ※御朱印を頂戴できます。
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華蔵院
kezouin